ワクチン職域接種における
接種券分割交換法の試行

〜ワクチン接種日時を自由に交換〜

Vaccination

概要

新型コロナパンデミックでは、自治体が主体となってワクチン接種を実施しました。しかし、ワクチン接種の予約では、予約サイトに人々が殺到した結果、サーバーがダウンしたり、提供する予約枠がすぐに埋まってしまう事態が生じました。また、ネットから予約できない高齢世代はコールセンターへ集中し、電話が繋がらない事態や、ようやく繋がってもオペレータに暴言を吐くなど、現場には多くの負担やストレスを向けられ疲弊していったのです。このような多くの負担が自治体に生じたのは、ワクチン接種体制の構築・運用が各自治体に任された結果、多くの自治体では手探りでの運用を行なわざる得ず、多大な努力にも関わらず効率的な接種が実現できなかったためと言えるでしょう。これを解決する方法として、あらかじめ予約日時と場所が記載された接種券を送付し、指定された日時で都合の悪い人は予約部分のみを切り離して他者と自由に予約日時が交換できる「分割交換法」を提唱しました。こういった社会的な非効率性は、医療分野のみでは解決できず、経済学的なアプローチにより社会システムの課題として解決すべき問題となります。まず経済学的な手法で理論を構築し、その上で、この手法が社会で実際に機能することを検証しました。

ワクチン分割交換法漫画

漫画による手法の解説をおこなっています

ワクチン分割交換法漫画前編ワクチン分割交換法漫画後編

実証実験概要

実験は、2021年、北見工科大学での新型コロナウィルスワクチン職域接種において、約840人の接種希望の学生を対象として実施しました。まず、接種対象者に接種日時が印刷されたハガキを送付。学生は、友人知人間で接種日時の書かれた部分を切り取って交換できる他、オンラインで交換を申し込む事も出来るようシステムを構築。これにより、1回目接種で10.0%、2回目接種で3.6%が実際に交換を行って接種日時を変更しました。結果、希望者全員が接種を受ける事ができ、この分割交換法が実社会において機能する事を実証したのです。

<分割交換法 概念図>

kitcut_img

北見工大での実証実験

既に、理論的な枠組みは筆者[奥村ら]が、2009年の新型インフルエンザパンデミック以降構築しつつあり、2020年の新型コロナパンデミックに際し、より具体的な方法論へと検討を重ねていきました。実証実験は、3段階の実証過程を経て、より実社会に近い規模に拡大してきました。第一段階として、大学院での講義において学生に模擬実験に参加してもらい、問題点の洗い出しを行いました。その後ワクチン接種が職域接種に拡大にされたため、北見工業大学学内での実証実験を行う事が機会が得られました。第二段階は、物理的なS券のみの交換を可能にした職員に対する先行接種。第三段階は、本理論の最も重要な「ネットを介してのより広範・安全な交換を実現させる方法論」を実施し、実社会での実現に近づく事ができたのです。

第一段階:大学院での講義で模擬実験

2021年5月17日北見工大大学院での講義「医療と工学Ⅰ」にて36名の学生が参加する中、分割交換法の有効性を検証し実際の行動分析や問題点の洗い出しを行うためシミレーション形式の小規模実験を行ないました。まず目的と意義について講義の後、各人に接種時間が割り当てられた接種券を配布しました。その後日時の都合が悪い人(17名)は、「交換市場」(ここでは前面の黒板に貼り出す)へ接種券を提出し、クジ引きによる順番で「交換市場」に張り出された券を取っていきます。このシミレーションの結果として、都合が合わない接種券しか選択肢のない者が8割(14名)にも上り、全員が接種可能な時間帯に調整する事はできませんでした。ここでは、市場の厚みが欠ける事で交換が機能しなくなるといった問題や、安全なオンライン交換の実現に関する課題が浮き彫りとなりました。

「医学と工学I」講義での模擬実験

b_lecture

なぜオンラインでの交換が必要なのか?

exchange_reason

第二段階:職員向け接種でのトライアル

事実上世界初となる接種券交換実験は、学生向けの接種に先行するリハーサルとしての位置付けで北見工業大学の職員向け接種として実施されました。2021年9月2日、3日に実施した新型コロナウェルスワクチン集団接種においては、少人数である事とシステムが未稼働であった事から、簡易的なP券S券(ミシン目で分割できる、P鍵とS鍵は記載しない)を配布し、物理的なS券交換のみ可能となる分割交換法を実施しました。
職員同士は互いに職場で接する機会が多く、友人知人間の物理交換は十分に機能しましたが、小規模集団であったため交換機会が限定されるという意見がありました。しかしながら、講義の枠を超え実際の接種に分割交換法が世界で始めて適用され、十分に機能するという確証を得た事は、大きな意義のある実験であったといえます。2回目の職員向けワクチン接種においても同様の方式で実施を行ないました。尚、同時期にワクチン異物混入問題が発生しており、当大学で使用するワクチンが該当ロットに当たっていたためキャンセル者が増大した事も付記しておきます。

第三段階:学内学生向け接種

第三段階は、最も実際の運用に近い形で学内実証実験を行ないました。2021年9月21日、22日、24日の3日間で一回目の北見工業大学ワクチン職域接種において約840名を対象にワクチン接種を実施し、その際の接種日時調整として本手法の実用化試行を行ないました。この実験に際しては、個人を識別したログインサイトの構築、個人データ管理、接種日時が交換可能なシステム構築、接種日時を通知するQRコード、バーコードを記載したハガキの作成・発送、接種スロット配分や待ち行列を発生させない会場設計、当日受付システムの開発、学内外への広報活動、バーコードリーダ等機器の手配、より広範な交換を可能とするプラットフォーマーとの検討など多岐にわたります。また、通常のワクチン接種にまつわる諸業務、例えば、大学総務部との実務協調、医療従事者手配、医療的配慮、会場運営等も同時に対応する必要がありますが、本手法と直接関連のある項目のみ言及します。

接種スロットへの人数配分

北見工業大学の学生数は約2000人でそのうち事前に接種希望を調査した結果、大学での職域接種希望者は約840名でした。接種は3日間で、各日14:00〜17:00の接種時間を10分間隔のスロットに分け、接種予定の学生を各日時に割り振りを行いました。受付や問診、接種後待機での滞留が各場面で生じないよう各場面での時間を測った上で待ち行列分析によってスロット人数を調整し、前後の滞留が分散されるよう工夫したため、当日は大きな混乱なく会場は運営はスムーズに終了しました。

接種ハガキの郵送

接種を希望した約840名の学生を対象にワクチン接種配分リストに基づき日時を割り振り後、接種案内ハガキを印刷し個人宛に郵送しました。ハガキは圧着形式で、内面P券側に個人番号(学籍番号)、氏名、ワクチン種別、個人専用サイトへのアクセスできる個別QRコード、Q券側には接種日時、場所、交換可能なバーコード(JAN)、交換方法、実証実験の説明等を記載てあります。ハガキが手元に届いた学生は、P券に記載のQRコードを読み込んで個人サイトへアクセスし、サイト上で実施要項の確認や接種キャンセルの手続き、当局からのお知らせを見ることができるようにしました。

接種通知ハガキ:P券に個人情報、S券側に日時情報が掲載され、切り取って交換できる

個人サイト:P券のQRコードを読み取ってログイン、各種手続も受け付ける

kitcut_site

交換の安全を向上させる仕組み

分割交換法では、オンライン上での安全な交換を実現するために、公開鍵暗号方式を用いて交換の安全性を高める工夫を行っています。オンライン市場で交換を行う際、個人に割り振られた鍵で本人確認を行います。またこの鍵を使うことで、直接相手とやり取りしなくても当局やプラットフォーマーが交換仲介して、相手に身元を知られる事なく安全な交換を実現させる事が可能となります。接種日時はP券と紐付いた形で割り振られるため、自身の持つ接種日時と交換する事は可能でも、買い占めたりする事はできません。大規模な住民接種においては、プラットフォーマーが交換を仲介する事で、より効率的な交換が可能になります。

market_exchange

公開鍵暗号を用いた安全なネット上の鍵交換概要

実験結果

第三段階で行った実験では、交換希望者は以下の方法のうちいずれかで交換する事ができました。

  1. 友人知人間でのS券の物理交換、
  2. 友人知人間でのS券記載のバーコードのみの電子的交換、
  3. 当局が仲介する交換(多対多取引市場)

この結果接種当日までに、接種者710名中、1.及び2.では40名(5.6%)が互いに交換を行い、3.においては31名(4.3%)が交換を申し込見ました。この31名はTTC(Top trading Cycle)と呼ばれるアルゴリズムによって希望者全員をマッチングし、各々希望する日時へと変更を行いました。最終的に710人中71名(10.0%)が実際に交換を行い、自律的な日程調整が可能であるとの実験結果が得られたのです。

接種1回目の北見工大学生向け接種交換結果

trial_1

接種2回目の北見工大学生向け接種交換結果

trial_2

研究の背景

2009年の新型インフルエンザワクチンの混乱

2009年に生じた新型インフルエンザによるパンデミックでは、ワクチン接種事業に様々な問題が生じました。国は、まず、ワクチンの確保に大いに難渋した上、ようやく確保したワクチンも国民の多くが国産ワクチンを望んだことで、海外産ワクチンのほとんどが接種されないまま破棄される結果となりました。医療機関へと配分されたワクチンの残数を効率的に把握する手法が存在しなかったために、ワクチン接種を受けられる医療機関を住民に案内することにも困難が生じ、さらに、ワクチンが10名用のバイアルで出荷されたため、余りが出たワクチンが多数破棄されたことも報道で伝えられました。

こうした事態は、パンデミックの後に大きく問題視されました。そこで、パンデミック時の行動計画が再検討され、ワクチン住民接種は今後予約制にて運用する方針が定められたのです。住民接種ワクチンは、国により都道府県へと割り当てられ、それぞれ更に市町村の運営する接種会場へと送付されます。しかし、日本における全国民を対象とした住民接種体制については研究の蓄積が存在しなかったため、厚労省により研究班が組織され、大小の自治体において接種会場を運営するシミュレーションが重ねられる事となりました。その成果は、研究班報告書として公開され、その後の各自治体における住民接種体制の整備へと生かされる事になりました。

住民接種シュミレーションは、想定不足

しかし、このシミュレーションは、住民接種におけるワクチンの配分や接種会場の運営をシミュレーションしたものの、その「予約」における技術的検討を欠き、このまま住民接種事業を行えば「ワクチンを求める住民により予約体制は一瞬でパンクする」ことが明らかに予見されるものでした。筆者らは、2016年に感染研にて開催された感染症危機管理に関わる研究班会議にてこの点を指摘し、経済学者らのグループと共にパンデミック時におけるワクチン配分の効率化という未知の研究へと取り組んできました。その主題は、「住民全員に、ワクチン接種権を配分した上で、その自由な交換を認めることにより、ワクチン予約の問題を効率的に解決しうる」という、最新の経済学の手法を取り入れた挑戦的なものであったのです。

2020年パンデミックのワクチン接種予約の混乱

そして、2020年、いつかは来るものと予期されていたパンデミックと、我々が予期した通りの社会的な大混乱が発生することになってしまいました。各自治体は、2021年に行った全国的な住民接種に際して、予約システムを用意しましたが、その多くが先着順方式を取り、予約開始時に希望者が殺到し、システムがダウンしたりすぐに予約枠が埋まるなど、オンラインでの予約が取れない問題が頻発したのです。また、インターネットを利用しない住民を対象として電話予約体制を設けた自治体では、予約電話が繋がらない事態に加えて希望する予約が取れないことに対する不満は、攻撃的な言動として自治体担当者へと向けられてしまう事態も発生しました。その後、住民接種に加えて職域接種という形で接種の窓口が広がり、大多数の国民に接種が進むことにより予約に纏わる問題は軽減していきましたが、ワクチン接種の予約が、住民側、制度運用側の双方に多大な負担が生じることは明白となり、社会的課題が顕になったのです。
そこで筆者らは、2016年より進めてきた研究を元に、ワクチン接種における予約という問題が経済学的手法により効率的に解決しうることを北見工業大学の職域接種にて実証することを目指し、学内実験を行いました。

本研究が社会に与える影響

パンデミックはまたいつ生じるかもしれず、そのためにより効率的なワクチンの接種体制を構築する事は不可欠です。各自治体が巨大な予約システムを維持したり、多額の予算を掛けてコールセンターを運営するのは、将来的にも大きな負担といえます。本手法を用いることで、各自治体は予約にかかる負担を大幅に削減し、効率的な接種配分を実施する事が可能となります。先着方式であれば、先を争って予約に殺到するため、その人数に対応できる大きなキャパシティを準備する必要がありますが、分割交換法を用いる事で大幅に規模を縮小できます。自治体側は、接種日時を優先順に住民割り当てて例外的な対応のみ受け付ければよく、日時都合の不一致は住民間での自律的な交換で調整されるため、大きな負担軽減となります。また、住民は、ワクチンを確実に受けられる安心感や予約負担が軽減されるのです。

プレスリリース

ワクチン接種日時を自由に交換

本研究に関する問い合わせ、研究協力はこちら

奥村 貴史
保健管理センター長
北見工業大学