m3.com 医療維新 新型コロナウイルス感染症(COVID-19) インタビュー

「突貫⼯事では、まともなシステムは作れない」


「突貫⼯事では、まともなシステムは作れない」
ーー奥村貴史・北⾒⼯業⼤教授に聞く
保健所のデジタル化、進めるための鍵は?

2022年2⽉8⽇ (⽕)配信 聞き⼿・まとめ:千葉雄登(m3.com編集部)
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新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、改めて⽇本の公衆衛⽣分野におけるデジタル化が急務であることを浮き彫りにした。保健所業務の逼迫の背景には、さまざまな事務⼿続きがいまだに電話やファクスによって⾏われているという実態がある。「HER-SYS」や「COCOA」はじめ多様なシステムが誕⽣したものの、それらの評価はいずれも⾼くはない。保健所など感染症の対応に追われる現場が求めるデジタル化はどのようにすれば実現可能か。国⽴保健医療科学院で特別上席主任研究官を務め、現在は北⾒⼯業⼤学教授・保健管理センター⻑を務めている奥村貴史⽒にお聞きした。

政治と現場の「ボタンの掛け違え」解消を

ーーなぜ、保健所など感染症に対応する現場が求める改善が形にならないのでしょうか?

感染症危機管理の分野においても、ミクロな改善は積み重ねてきています。課題は感染症危機管理の実務担当者が与えられている裁量と予算の範囲内で改善を積み重ねてきているにもかかわらず、現場の意向を踏まえない形でさまざまなシステムが導⼊されるというボタンの掛け違えが起きてしまっていることにあります。

例えば、国は平時から結核や百⽇咳など国内におけるさまざまな感染症の発⽣動向をモニタリングしています。しかし、これは平時のための体制で、パンデミック時には別のアプローチが求められることは分かっていました。そこで、パンデミック時における患者情報の効率的な集約⽅法について、感染研を中⼼に10年近く掛けて準備をしてきましたが、今回のパンデミックでは、⼀からHER-SYSが作られ、完成度や投⼊時期や運⽤といった観点で多くの問題が⽣じることになりました。必要とされているのは、実務と意思決定におけるそうしたボタンの掛け違えを解消し、現実的な落としどころを⾒つけていく取り組みです。

デジタル化をすべきである、ということは誰もが分かっていますし、異論はありません。しかし、こうしたデジタル化を進めようとする際には、現場にほとんど発⾔権が与えられません。意思決定側は、「後進的な分野をデジタル化により効率化したい」と考え、トップダウンに進めます。そうしたモードに⼊ったとき、施策が社会からの声を後ろ盾に進められることで、実務家によるボトムアップな声が政策に届かなくなります。結果として政策が現場が求めるベクトルと異なる⽅向へと進んでしまうのでしょう。

ーー「HER-SYS」は繰り返し不具合が報告されています。こうした課題を解決するためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか。

広く公衆衛⽣領域のデジタル化を進めるためには、短期・中期・⻑期、それぞれの観点で取り組むべき課題があると考えています。
まず、短期的には⾃治体からの問い合わせ先を明確化し、保健所の負担軽減を政策⽬標の⼀つに据える必要があります。⾃治体における感染症対策業務を円滑化するために、⾃治体にはそれぞれ情報システムが存在し、また、パンデミック対応に際して⼯夫を重ねてきました。理想的には、それらのシステムを国のシステムへと接続し、⾃動的にデータ共有を⾏うことができればよいのですが、現在は、どこと調整をすれば良いのかが不明瞭です。⾃治体からみて、感染症のサーベイランスは、ナショナルセンターである感染研を中⼼に組織化されてきました。しかし、ボトムアップな調整が困難となったことで、⾃治体側にしわ寄せされた⾮効率が固定化してしまっています。国のシステムと⾃治体のシステムを効率的につなげたい、このようなニーズに国は応えていくべきでしょう。

その際には、国と⾃治体のセキュリティーポリシーや個⼈情報保護条例をすり合わせた上で、データを⾃動的にやり取りするための法制⾯での調整も必要です。⾃治体側の負担を下げるためにも、国の側に「どのラインまでであればインターネットを経由した患者や検体情報のやりとりや保存が許容されるのか」といったガイドラインを提⽰していただけることが望まれます。

中期的には今回の教訓をオープンにしていくことが必要です。⾃治体や保健所がどのような点で苦労し、どのようなシステムが必要とされていたのか。逆に、政府側は、どのような情報をどう欲し、いかに意思決定したのか。⾏政施策に関してはどうしてもブラックボックスが多くなってしまいがちです。しかし、パンデミック対応の根幹である感染症サーベイランスにおいて、医療現場や保健所、県庁に⼤きな負担をかける結果が⽣じたわけですから、その教訓を明らかにし、次のパンデミックへの備えとすることは不可⽋です。そのためには、公開シンポジウムなどの場を設けることも有⽤ですし、政策評価に予算を付け、「HER-SYS」や「COCOA」といった情報技術について記録に残すことも必要です。多額の税⾦を投下した施策について、どこに課題があり、何がダメだったのかということは、⾏政の側からはなかなか⾔えません。しかし、新型コロナ対応の中で⾒えた課題や教訓を次のパンデミック対応へと⽣かすことができなければ、それこそ納税者への裏切りとなります。今回のパンデミックが収束した後で結構ですから、⼀連の教訓を次へとつなげていく努⼒が求められていると思います。

⻑期的にはやはり⼈材育成が必要です。医学部を出た⼈間からすれば、公衆衛⽣はあまり魅⼒的な分野ではないのが本⾳ではないでしょうか。こうした状態が慢性的に続く中で、保健所で働く医師の数も不⾜が続いています。現場では2009年の新型インフルエンザ対応当時のことを知っている⼈はごく僅かです。このような状態が続けば、新型コロナの教訓が次の世代へと受け継がれないことにもつながりかねません。今回のパンデミックは、情報技術の発展を通じて、社会医学が再び医学のフロンティアへとなるきっかけたり得ます。そうした機会を⽣かし、優秀な若者にこの分野へと多数進んでいただくための試みが望まれます。

 

「トップダウンで⾏うデジタル化はことごとく失敗」

ーー新型コロナ対応においては通常の感染症データベースである「NESID」ではなく、「HER-SYS」を運⽤しています。現場からは、こうした対応を疑問視する声も上がっています。

パンデミックには「NESID」では対応しない、これは感染症危機管理研究において得られていたコンセンサスでした。「NESID」は⽇常業務⽤ではあり、パンデミック対応には不向きです。

2009年の新型インフルエンザ対応時にも、こうした報告システムの問題が浮き彫りになり、通常業務⽤の「NESID」に加えて、事態の推移に応じて柔軟に改修できるパンデミック対応⽤の「iNESID」の2本⽴てで対応しました。そして、その際の教訓を基に、通常業務に特化したNESIDに加えて研究⽤のサーベイランスシステムを⾃治体と共に同時並⾏で研究開発し、5年に1度の「NESID」改修時に統合すべき点を統合するというモデルが模索されていました。つまりパンデミック対応の研究⽤システムには先進的機能を搭載し、研究として現場の実務者の評価を⾼め、そうした機能を実務システム改修の際に取り⼊れていくという仕組みです。

ーーとはいえ、1つの組織で付与できるID数に限りがあることなど、現場からは「HER-SYS」の課題を指摘する声が多いのも事実です。

その原因は現場の声を聞かずに、トップの都合でシステムが作られてしまっていることにあります。情報化は国としても悲願です。ですが、これまでも国がトップダウンで⾏うデジタル化はことごとく失敗してきました。

トップがお⾦に⽷⽬をつけずにデジタル化を推し進めると、コストが上がり、関係諸機関の間で最適解を⾒つけるインセンティブも働きにくくなってしまいます。結果として現場にとっては不要なものが莫⼤なコストをかけて作られてしまうのです。そのようなツールが現場で⽀持されるわけがありません。業務知識やこれまでの知⾒や教訓を踏まえない突貫⼯事では、まともなシステムは作れないということです。

本質的な課題解決に結びつく「デジタル化」を進めるのであれば、ボトムアップの形で現場やその分野の専⾨家の意⾒を吸い上げなければいけません。その体制づくりが何よりも必要です。「HER-SYS」導⼊において課題となった各種の問題点は、感染症危機管理を研究してきた側にとっては全て事前に発⽣が予期されたものでした。これらは予算をつければ解決できる、という単純なものではありません。時間をかけて取り組まない限り、改善はなかなか困難です。

感染症サーベイランスの効率化には、情報セキュリティ上のルールや法整備など、政治でなければ決断できないことも多いのも事実です。トップに⽴つ⽅々には、過去の教訓とさまざまな意⾒に⽿を傾けつつ、⻑期的な視点でこの問題に取り組んでいただければと願っています。